トロログ

トロニーのブログ、略してトロログ。

メモ(古着の話)

9:23

ヘルパー2人が古着好きとのこと。晩ごはんを食べながら、古着のどういうところが好きなのかを教えてもらう。「その古着が作られたときの文脈、バイヤーが買い付けたときの文脈、そして自分がえらぶとき、コーディネートするときの文脈が交差するのがおもしろい」ということなのかなと雑に理解したつもり。違ったらごめんなさい。古着を着こなす人/古着に着られる人 という話もあり背筋が凍る。身の丈をわきまえていこうと胸に誓った。

 

大衆的な、kg単位で服を仕入れる古着屋と、一品一品きちんと目を利かせて店に並ぶものを決める、いわゆるブランド的な古着屋の2種類があるという話。ブックオフと個人経営の古本屋の違いみたいだね、と言ったらあ〜…そ………っすね……みたいな反応だった。押忍。デザイナーが古着を買ってInstagramにアップロードし、またそれを参考にトレンドを察知して買う服を決める、みたいなのは好きなトラックメーカーがツイッターで紹介する音楽ばかり聞いているぼくと一緒なのかな〜とか思ってみたりする。そうなんだよな、こうするのがいちばん信頼できるんだよな。

 

さっきin the blue shirt氏のブログをなんとなく読んでいて見つけたこの記事がよかった。

arimuri.hatenablog.com

 

数十年の休眠期間を経て日の目を見たドレス、自分が見ても「きれいに保存されている、素敵なドレスだな」くらいの解像度でしか接することができないが、リメイクした店主にはどうやら非常に興味深いものだったようで、生地がどうだ、仕立てが、縫い目がどうだ…と言った話を楽しそうにしていたのが印象的であった。あらゆるドレスに針を通し続けた人間の解像度を通じて、そんなテンションになるのならさぞ良いものなのだろう、とこちらもいい気持ちに。ウエディングドレスといういわばニッチなものを、一人ハンドメイドで作り続けているその人間が、オタク性というか、強いこだわりを持って好きなものに向き合い続けている側の人間であることが、服飾のことなどさっぱりわからない自分にも伝わってくる。自分も好きなものにはそうありたいと改めて強く思う。

 

結婚式で着たドレスの話。新婦の母親が着たものをリメイクしたとのこと。リメイクした仕立て屋さんが元のドレスそのものの質や保存の良さを認めたくだりとか、クリーニングに出した際の店員の反応とか非常にグッとくるものがあった。

 

ものごとを見る際の解像度は人それぞれで、大体はどれくらいその対象物に触れてきたか(時間・量・姿勢)で変わると思うのだけど、やはり「わかる側」にしかわからないことが多い。ハンターハンターでいう暗黒大陸くらい広い世界。そしてこうやってヘルパーから聞いたりブログで読んだりしたみたいに、「わかる側」の話を見聞きすると楽しそうだな〜!って思う。その分の勉強というか修行というか、とにかく時間と物量が必要なのだろう。氏と同じように、ぼくも好きなものについてはこのくらいの目を持ちたいなと思う。

 

これって「勉強の哲学」じゃんと思ったりした。「わかる側」というのはある意味で「ノリ」の世界から逸脱した状態であって、そこにたどり着くとある種の「キモい」人間になってしまう。オタク的な存在。しかし、その状態を経てまた「ノリ」の世界に戻ってくる(「キモイ」状態を経た「ノリ」の世界)。それを繰り返せる人生が多層的で楽しいと思う。

 

話は変わるけど、こないだ言語化の力と怖さについてYと話していた。これも勉強の哲学に書いてあることを思い出したのだった。言語化してしまうとそれに固定される恐れがあるが、あくまで「仮固定」として軽やかに次の場所に渡りたい、的な。言語化と建築設計のスタディは「(とりあえずの)外部化」という意味で一緒だな。ぼくはスタディがかなり苦手で言語化は結構得意(になってきた)と思う。だからなんだって話だけど、言いたいのは「ならスタディも訓練次第なのでは?」ということだ。言語化はできるようになりたくて、そこそこ意識していた。ならスタディも…(ここまで書いて そんなのは学部3年とかでできるようになっておけ という気持ちに)

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

春休み読むのオススメです とりあえず読んでみて損はないと思う

 

とにかく世界は広くて面白いね もっと面白がりたいねって話でした。やっていきましょう。in the blue shirt氏のブログ読んでてテンションが上がって書いてしまった。

9:46