トロログ

トロニーのブログ、略してトロログ。

魚の絵

中トロラジオの企画(企画て)で、年末まで毎日絵を描くことになった。「2019年はもうやり残したことも特にないし、逆に残りの40日間で新しいことでも始めるか〜」という、非常に前向きな企画である。絵を描けないなら描けるようになるまで練習すればいいというわけである。noteで毎日更新していくつもりなので、ぜひ見てほしい。

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実をいうと、全く絵と関わりがなかったわけでもない。というのも、中学生のころは美術部だったのだ。絵がうまいわけでも好きなわけでもなく、入部したのは単に楽そうだったからだ。運動はしたくないし、かといって合唱部や吹奏楽部は集団行動だし厳しそうだしで、だから個人の自由にやらせてもらえそうな美術部に入った。文化系の部活が少なかったのだ。「全員が部活に入らないといけない」というルールがなければ帰宅部だったかもしれない。生まれてこの方ずっとそんな感じでぼんやり生きている。

 

そんな経緯で入部した男だから、当たり前のように絵は書かなかった。だが幽霊部員というわけでもない。不思議と部室にはよく行っていた。思えば暇だった。何をするわけでもなく、本を読むか、友人と喋ったりオセロをしたりと、とにかく悠々自適に過ごしていた。時間を無駄にしていたといも言う。

 

それでもたまには絵を描かなきゃな〜と思うこともあって、あれはいつだったか、たしか部の展示のためにみんなが制作に集中し始めたころだったと思う。いつもは喋りながらイラストを描いていた部員たちも、それなりに真剣に絵を描き始める。その様子に多少なりとも影響されたのか、自分も絵を描きたくなった。資料として図書館に置いてあるナショナルジオグラフィックをパラパラめくって、なんとなく目をひかれた魚群を描くことにした。美術室の引き出しから画用紙と濃いめの鉛筆を引っ張り出す。

 

サバか何かの大群が、ダイバーを中心に渦巻き、大きな影をつくる。背景から差す青い光が、一匹一匹の鱗に鈍く反射していた。群の迫力もさることながら、そもそもの魚の形が美しくて、それが意外だった。鉛筆で一匹ずつ魚を描く。本当に途方もない数の魚だ。画用紙の角の方から少しずつ描いていくが全くうまくかけない。単なる曲線のはずなのに、なめらかに泳ぐ魚には見えない。自然界の単なる曲線がいかに美しく、いかに難しいかを実感する。ふだん絵を描かない男が急に書こうとしても無理があった。わかっている。嫌になりつつも、なんとなく描き続けた。

 

ふと気づくとまぁまぁな数の魚を描いていた。それでもまだまだ完成には遠い。いつ終わるんだろうと思いながら顔を上げると、そこに美術部の同期が通りがかった。彼女は立ち止まって描きかけの魚たちを見ると「この魚いいね」と言い、画用紙の一点を指した。それはぼくが描いた中で、唯一きれいに綺麗に描けたかもしれないと思えた魚だった。

 

もっとちゃんと部活に取り組んでいればよかったな、と卒業してから何回も思っている。ここ数日、絵を描いていても思う。あのころ美術部としてきちんと活動していれば、今頃こんな苦労していない。時間ばかり無駄にして、美術部に入った意味はあったのだろうか?だが、今思えば、やっぱりあの瞬間があっただけで、美術部に入った意味はあったのだ。ほかの時間をいくら無駄にしても、あの一瞬があるだけですべてが大丈夫になる。大げさだけどそれくらい嬉しかった。

 

結局あの絵を完成させたかどうか覚えていない。美術室に一人で深い青色のパステルを塗った記憶があるのだけど、それは別の絵だった気もする。彼女の何気ない一言に励まされて完成させたっけ?自分の性格的にそんなことはありえないから、たぶんどこかで諦めたか、その一言で満足してしまって投げ出したか、まぁどちらかだろう。もう忘れてしまったな。

 

いま絵を描いていて、自分の線にいちいち嘆いてしまう。どうして思ったとおりに描けないんだと歯がゆく思う。というか、思わない瞬間がない。どれもこれも全然だめだ。自分には才能がない。そんな時に、ふとあの魚の絵が頭をよぎる。たった一匹の魚だけをきれいに描けたこと、それが伝わったことを思い出す。もう少しだけ辛抱してみる。いつかあの時みたいな線が引けるかもしれない。